cicroiro-interview-NOSIGNER

 

僕達がノザイナー氏に最初に興味をもったのはデザインを影の様な、見えないけれど確かにそこにあるものをデザインしているということについての言及であった。この見えるものと見えないもの間の追求について調べていくにつれてノザイナー氏のオープンソースプロダクトに興味を持った。それはデザインではなくデザインする環境のデザインである。それを実現するうえでハードウェアとしてのプロダクトを制作するにあたり、ソフトウェアとしてインターネットを使って情報を共有することに一つの現実と仮想の融合が見える。ここに新しい21世紀のデザイナー像があるのかもしれないと感じた。今回はこのオープンソースプロダクトを中心にインタビューを進めていきたいと思う。'藤代(

 


 

 

 金'以下:k

こんにちは。cicroiroです。

 

NOSIGNER'以下:N

こんにちは。NOSIGNERです。

 

k

今回匿名でデザイン活動を行い、グッドデザイン賞やロンドンデザインミュージアムコレクション収蔵'en(など数々の賞を受賞され、国際的な評価を受けるデザイナーであるNOSIGNERさんにインタビューをできることを光栄に思います。それではよろしくお願いします。

 

”オープンソースプロダクトを始めるきっかけ”

k

まず本日の主題として現在NOSIGNERさんが中心となり制作しているOPEN SOURCE PRODUCTに関して主に聞いていきたいと思っています。まずオープンソースにたどりつくまでの経緯を簡単に聞かせていただいてもよろしいでしょうか。

N

僕が学生くらいの頃に戻りますが、ちょうどその頃デザイナーとして独立することを考えていた僕は「デザインとは何か」についてすごく考えていたんです。「デザインの範囲はどこからどこまでか」ということも同様に興味があり、トライアルを繰り返してきました。

そんな中である日、「食べられるプロダクト」の可能性に気づいて、春雨を使った食べられる照明を作ったりしていました。ただ「食べられるプロダクト」には一つ問題があって、このアイデアは市場で流通することができないんです。食べ物でもないし照明でもないですから。ただそれが綺麗な照明だということは明らかでした。ただ、売るためのものではなかった。こういったものをプロダクトデザインと呼ぼうとした時に、こういうアイデアをどうやってみんなとシェアできるかなと考えたことが、OPEN SOURCE PRODUCTのアイデアの発端でした。

 このあいだ、世界を変えるデザイン展という展覧会がありましたね。あの展示の元になった「世界を変えるデザイン」という本があります。その本の原題は「Design for the other 90 %」。 この本のタイトルに表れているのは、消費社会を享受しているのは世界の中で10%だけで、他の90%はこの消費社会のフレームに乗ることができない。僕らデザイナーは、この消費社会の10%のために、ほとんど全てのデザイン力を注いでいる訳ですね。

デザイナーがデザインしているのは事実ですね。しかし考えてみれば、デザイナーではない人がデザインしていないかというと、そういう訳でもない。例えば主婦がチラシでティッシュ箱を作っても、それが美しく機能的であれば、十分にデザインですよね。つまり、世界中の人が少なからずデザイナーだということ。 そして日々、新しいデザインに取り組んでいるということ。そして、そのデザインのほぼ全てが陽の目を見ない、ということ。春雨のランプを作った僕は、そのようなデザイン達をどうやって多くの人と共有できるかを考えていました。

そこで気づいたんですが、例えばソフトウェアの世界にはオープンソースという考え方がありますよね。デザインでいうところの設計図にあたるものがソフトウェアの世界ではコードです。そのコードをオープンにすることで、ソフトウェアに多くの人が口を出せるようにしたのがOPEN SOURCEの始まりです。

オープンソースソフトウェアの世界は、現在十分に成熟して成り立っています。そこで評価を得たプログラマーがきちんと高給でどこかに雇われていたり、あるいは有料のサービスを追加することで収益構造を回している人もいます。ということはプロダクトデザイナーや建築家でもこれができる術があるんじゃないかなという気がしたんです。

 

藤代'以下:f

オープンソースにするのはデザインの設計図なんですか?

N

そうです。そして作り方のノウハウですね。例えば春雨のランプのソース(作り方)も、実はずいぶん昔に雑誌に載せていただいたことがあります。「俺流インテリア」みたいな本、よくあるでしょう?(笑) それが今考えてみれば最初にコードがオープンになった私のプロダクトでしたね。

 

 

 

(写真:上) 春雨の照明、spring rain

(写真:下) 雲のようなライト、pokkari

 

 

 

”オープンソースプロダクトの概要”

k

それではそのバックグラウンドを踏まえてOPEN SOURCE PRODUCTというものがどういうことをやろうとしているのか簡単にお話し頂けたらと思います。

N

お話したとおり、一番最初はオープンソースにできる可能性があるプロダクトデザインを自分で考えては、自分で作っていたわけです。しかし、デザインはデザイナーだけが思い描くものではないな、と気づいたときに、他の方法を探すことにしました。

考えてみれば、世の中にはクックパッドみたいなレシピを投稿するサイトがありますね。そんな感じで、アイデアを思いついたら気軽にそこに作り方をアップして皆でシェアする場所があれば面白いなと思いました。ただ当時自分自身がウェブに詳しいわけではなく、自分一人では始められなかった。2年ぐらい止まっていましたね。それを知り合いのウェブデザイナーに相談したら、「すごく面白い!」と興味を持ってくれたんです。そうして、しばらくするとオープンソースプロダクトに協力したいという人たちが出てきてくれたんですね。これはいよいよ実現しなければと思い、現在制作しています。

 

”ソフトウェアとハードウェアの違い”

f

少し前に戻るんですけどもソフトウェアでオープンソースができるということに着想を得たということなんですが、ソフトウェアっていうのは情報なので世界中ですぐに使うことができますよね。そういうことで情報技術としてソフトウェアの世界ではそういうことは成り立つと思うのですが、建築だったりプロダクトデザインの様なハードウェアには物質になってくるのでコストや輸送がかかってくると思うんですね。そこに違いはあるかと思います。そこに対してはどのようにお考えですか?

 

N

ハードウェアが今までオープンソースになり得なかったのは、それが物質であるがゆえに不特定多数の人でシェアすることが出来ないからでした。しかしOPEN SOURCE PRODUCTで流通させようとしているのは物質ではなく、そのデザインの作り方。つまり情報です。だから共有できるわけですね。それは料理のレシピがウェブ上で共有できるのと同じことです。そういったプロダクトデザインの流通の方法は今までなかった。あったとしてもメジャーではなかった訳です。

 

”ユーザーの射程範囲”

k

既存のソフトウェアのオープンソースは開かれた先としてクリエイターに開かれたオープンソースだと思うんですね。というのは2次制作、3次制作するためにソースが開かれている。その中でこのオープンソースプロダクトというのは誰に対してオープンにすることを考えているのでしょうか。それは主婦の様な一般の方々に対してもあてているのか、もしくはクリエイターの方達に対してソースをオープンにしているのでしょうか。

N

ソースを作れる人というのは限られると思います。例えばYoutubeが動画制作のスキルを要するように、OPEN SOURCE PRODUCTもある程度はそうなるでしょうね。でも、やりたいと思った時に最低限これができないといけないというスキルは、そのサービスが本当に面白ければ、ユーザーが勝手に乗り越えていくと思うんです。確かに既存のクリエイターは参入しやすいと思います。しかし必ずしも参加している人全てデザイナーかというと分からないですよね。むしろそうじゃない方が面白いという気がしています。

k

それは主婦がチラシでティッシュ箱を作るといった様なものでもあげられるということでしょうか。

N

それは可能です。問題は、デザインの良い悪いを自律的に選び出していく仕組みの方だと思っています。それをレーティングで行うのか、それともアクセス数で行うのかそれともtwitterのリツイート数で行うのかというのは、今まさに検討しているところです。

楽観的ですが、いい仕組みができれば、その仕組みがその世界の基準を高めていってくれると期待しています。だから、アップロードに審査はしたくない。でもやっぱり敷居はなんとなく感じるというルールを実現すれば、面白いアイデアが集まってくるのではないでしょうか。そのルールをどうやってつくるのかを考えています。

 

 

 

”地域性のでるハードウェアのオープンソース”

f

オープンソースプロダクトは日本においての市場を考えているのでしょうか。それとも世界も視野に入っているのでしょうか。

N

バイリンガルにはしたいと思っています。あとこのサービスで将来やりたいのは、SOURCE(レシピ)の共有と同時にRESOURCE(材)の共有です。

シェアされるレシピには材料が必要じゃないですか。しかしその材料は、ソースのようにオープンにできるものではなく、どこかから調達しなくてはなりません。それを調達する方法を実装したい。

あるいは、レシピの中にどうしてもレーザーカットなどの専門的な加工が必要だということもあるでしょう。人材や設備もシェアできないんです。これらの連絡先や場所をシェアする方法についても考えています。

職人さんの輪というのは、ある所には点々とあります。例えば徳島は木工で有名な場所です。しかし一般の徳島に住んでいる方が徳島の木工について知っているかというと、そうとは限らない。製造してくれる場所の情報がシェアされてくると面白いと思っています。

将来的にですが、ソースを作ろうとしている人に、リソースをどのようにつなぐか、そのハブにOPEN SOURCE PRODUCTがなってくれれば面白いと思っています。

 

f

コメントになりますが、ソフトウェアのコードだったらコピー&ペーストすれば全く同じものが再現できますよね。それとはハードウェアは違って毎回材料も技術も自分で手に入れなければいけない。自分が木工所へ持っていかなくてはいけないという時に、そこに地域性だったり自分の個人性だったりするものがあって100%コピーできない状況になるのでオリジナルのものの派生として様々なものが出てきてくると思います。そういう所がハードウェアならでは面白さと言えるかもしれませんね。

 

N

そこは僕もすごく楽しみに思っているところです。おそらく、そのレシピ通りにつくろうとする人は、10人のうち5人くらいしかいないんじゃないですかね。あとの5人は「ちょっと変えちゃおう。」と思ったりする。

それが続いていくと、バージョンというか、そのアイデアの子なり孫なりが出てくるでしょう。この孫くらいになると突然変異でまた全く違うものに進化したりするかもしれない。そういうことがどんどん起こってくると面白いですよね。

f

そのオープンソースというのがレシピで、グローバルでユニバーサルなものと見られがちなのかもしれないけれども実は地域性に密着しているということですね。ソースは同じでも地域性のあるプロダクトだったり建築が生まれ得る。

 

N

生まれますね。オープンソースのハードウェアの可能性は、もしかしたら完璧な再現性がないということかもしれないですね。完璧な再現性がなければ、アイデアを享受してつくろうとしている人は、実はある程度アイデアの開発者にならざるをえない。 ソフトウェアだとソフトだけを享受することはできますが、ハードウェアではそうはいかない。

 

”先進国におけるオープンソースプロダクト”

f

物理的なものだから結局いろいろやらなくちゃいけなくなりますからね。

話が世界規模になったのですけど、ものづくりの環境として二つあると思います。日本の様な先進国は物が飽和している状況にある。その中で利用されるオープンソースと全く別の環境で発展途上国があります。彼らは物がなくて生活のために新しいものが欲しいわけです。これらは全く状況が違うと思うのですがそれについてどのようにお考えでしょうか。

 

N

まず先進国の話をしましょうか。先進国は物が飽和している。かといって、先進国の製造業が安泰かといったらそうではありません。これはどの企業にも少なからず、先進国の流通で利益を得るために、また競争に勝つために、可能な限り地球上で最も安いと思われる場所で製造せざるをえない状況があるからです。

例えば日本の木工産業は、かつて豊かでした。しかし日本が先進国になっていく中で、先進国の人件費を使って木工を職人の手によって作らせることが割にあわないことが多くなってきてしまった。 そうすると先進国の製造業は、「手はあるし、スキルもある」にも関わらず、それが活かされない状況が沢山出てきた訳です。

普通のプロダクトの流通は、企業が工場に発注し、工場から製品を問屋に卸して、問屋がショップに卸して、ショップが消費者に売ります。つまり工場から消費者までにものすごく距離がある。もしこの各段階の間に、それぞれ30%ずつくらいマージンを足していくと値段が2,3倍になるわけですね。この仕組みが上手く回っていた背景には、この仕組みの上では、工場サイドは100とか200とかまとまったオーダーで入ることになり、薄利でもなんとかなっていた訳です。しかしこの発注先だった国内の工場は、いまは外国の工場に取って変わってしまっています。日本中の製造業は少なからずこの状況に直面しています。

僕自身もそのことに問題を感じていたのですが、もし上手く行けばOPEN SOURCE PRODUCTは街にある工場を、消費者が直接使ってもらえるきっかけを与えることができるかもしれない。たとえば消費者がテーブルをつくりたい時に、街の職人が直接答えるということができるかもしれない。

流通が工場から消費者という極めて単純な構成になると、価格についても外国と勝負できる所まで下げられるかもしれません。消費者にとっても、職人と協同することで満足する物ができる可能性がある。もしかしたら雇用も創出することができるかもしれない。

夢は膨らみます。膨らんだこの夢は、まだ絵に書いた餅ですが、やってみないとどうなるか分からないので、まずはやってみようと思っています。

 

”途上国におけるオープンソースプロダクト”

N

では、途上国側からの可能性をお話ししましょうか。アフリカなどの途上国では、普通の生活の中に思いきり問題を抱え込んでいるわけです。先日行われた「世界を変えるデザイン展」も大きなヒントになったのですが、 そういった問題を抱えた場所でこそ、オープンソースのハードウェアは力を発揮すると思っています。誰かが、どこにでもある物を使って、途上国の日常の問題の解決策を発見できたとします。もしそれがOPEN SOURCE PRODUCTでシェアされ、その方法を現地に伝える術があれば、そのやり方が地場で定着する可能性がある。そうすると、彼らが自分たちの生活に新たなアイデアを取り込み、生活水準を豊かにすることができるかもしれない。

このような社会貢献的なデザインアイデアは、僕はオープンソースであるべきだと思っています。彼らの状況に先進国と同じような市場経済性を見いだすというのは、あまり現実的ではない。そうすると、彼らが自分たちの身の回りにある物を工夫する手段をシェアするやり方の方が、しっくりくるじゃないですか。流通させる物があるなら、製品ではなくて材料、例えばランタンを作るにしてもコアとなるLEDユニットだけがあれば、彼らは周りのランプシェードは自分で工夫して作り始めるかもしれないですよね。材料のシェアとオープンソースハードウェアのハイブリッドな方法が現実的だと思います。

 

”お金と価値”

f

なるほど。先進国の話に戻らせていただきたいのですが、資本主義の流れとしては一番安い賃料の労働力のある国から労働力を持ってきて利幅の高い物として製品をつくっている。

それに対してオープンソースっていうのはそうじゃなくて地場の能力のある人を使えてしかもいろいろな経由があるのではなくてシンプルにいく構成です。

資本主義っていうのは先進国サイドにとってはお金の流通に関してはベストな方法だと思うんです。それに対して違う視点から提案されているということは資本主義のお金の流れが一番の幸せじゃないというメッセージにも思えます。その点に関してはどのようにお考えでしょうか。

 

N

「なぜ、お金はあるのか。」ということを考え直す必要を感じています。

お金は価値の対価のために発明されました。理論上は「お金=価値」でなくてはいけない。でも私たちの実感としては、お金と価値とのあいだの相関は、現在ではほとんど上手く成立していない訳です。確かに、お金が血行よく社会に行き渡ることによって僕らは確かに豊かになりました。逆に言うと僕らは水のようにお金という仕組みの中にどっぷり浸かっているわけです。それで少なくとも先進国の僕らはとても幸せに生きていけるようになったけれど、お金という仕組みが生んだ歪みによって世界に何が起こっているのかを、皆が気づける時代になった。20年くらい前までは、多くの人はそんな発想にも至らなかったと思います。知らなかったし、知ることもできなかった。メディアも特に知らせようとしなかった。メディアの変化によって初めて、実はこんなに歪んでいたんだということに誰もが気づけるようになった訳です。「なんかおかしくない?やばくない?」と。さて、改めて価値とは一体なんでしょう。ここに現代の大きなテーマがあります。

 

”デザイナーが価値に対してできること”

はっきり言うと、価値に対して今のところどの職業もノーアイデアなんですよね。ほとんどの仕事が市場経済の中でしか成立しない仕事ですから。プロダクトデザインも建築もお金を払ってくれるクライアントのためにやっている。そういう、どうしようもない不条理があります。そういう中で僕は、デザインが市場経済の中だけにあることに、すごくもったいなさを感じていたんですね。デザインって知れば知るほど、特別なものじゃないんだ、ということが分かるわけです。

 デザインという言葉は新しいものですが 、有史以来、つねに人間はデザインをしてきました。洞窟の壁に抽象画を描いたり、石からナイフを作ったり、あるいは家を木と草から作ったり。そんなふうに、明らかにデザインは人間の本能と結びついている。それも、価値を創りだそうとする本能と結びついている訳です。お金という方法も、その本能からかつてデザインされたものです。

 それが今では逆転して、「デザインはお金のためにある」という状況が、すごくもったいないと思うんですよね。デザインを進めていると、視点を少し変えるだけで、矛盾する状況を解決する手段を見つけられることがあります。大きなことを言ってしまうと、社会構造がもっている矛盾に対して、デザインすることはできないのかと思うこともあるわけです。OPEN SOURCE PRODUCTはそのための小さな試みだったりします。

 

 

k

先ほどおっしゃったお金と価値の乖離とはいつから感じていたのでしょうか。 また新しい価値として提案していようとしているのか。そうではなくてみんなが気づいていなくてそれを気づかせようとしているのか。どちらの考えでいらっしゃるのでしょうか。

 

N

お金と価値の乖離を感じていたのは、高校生くらいからですね。家が貧乏だったので。今回のプロジェクトに限らず、デザインを進めるときには、新しくしようという意識よりも、最適にしようという意識の方が強い様な気がします。 だから、新しい価値を作るというより、気づいていないものに気づかせる、という言い方のほうがしっくり来ますね。最適じゃないものは、なくなりません。つまり、デザインはなくならないでしょう。

デザインは人間が脈々と続けてきた営みです。例えば人間と道具の関係を、今この時期にプロダクトデザインと呼んでいるだけです。100年前はそれをデザインと呼んでないかもしれない。さらに200年前は、また違う言葉だったかもしれない。

OPEN SOURCE PRODUCTでは、いまの時代にデザインと呼ばれていないけれど、大きな視点に立てば明らかにデザインだと言えるものに目を向け直す試みだと言えます。

 

”ノザイナーにとってのデザインとは”

f

最後の質問になりますが、デザインはお金とは全く違う意味で人間にとって必要なものであるとおっしゃられていました。その中でノザイナーさんはデザインを自然に近いもの、または影の様なものとしてデザインされている活躍されています。それはデザインの中でもすごい自然な形になってくると思うのです。そういう中でノザイナーさんにとってデザインとは何かを最後にお聞きしたいです。

N

自身を良い状況にする、あるいはより自分にあったものに租借するために、物事を抽象化して捉える人間の本能が、デザインなんだと思います。

そのデザインに対する本能は、人間の言語能力にとてもよく似ています。実は僕自身、そういう論文を書いて修士を卒業しました。人間の言語能力は、経験を租借して抽象化し、言葉に定着し、他の人に伝えています。それを脳が本能的に行っているわけです。この過程と、デザインにおいて背景を咀嚼し、抽象化し、デザインに定着させ、他の人に伝えるという過程は、ほとんど同じと言っても過言ではありません。

その言葉を紡ぐ時に大切になるのは、その背景に抱えている実感や、注目している背景を、どう抽象化してどう言葉にするかということです。つまり言葉にすることだけが上手くても、感動するような言葉は生まれないんです。背景の抽象化が大切です。

デザインにおいても、デザインに定着させる力よりも、背景を抽象化して汲み取ってくる力の方がデザイナーの力として求められていると思います。

現在の「良いデザイン」と、何百年後の「良いデザイン」は全く違うでしょう。新しい基準は実は常にあると思います。けれどその基準の突端になるきっかけはもうそこら中にあると思うんです。世の中が劇的に変化している今だからこそ、基準ごと考える必要があるかもしれない。OPEN SOURCE PRODUCTも、その大きな文脈の中の一つなんですよ。ここで何が起きるか分からないし、はっきり言って上手くいかないかもしれない。けれど、もし上手くいかなくても、基準のほころびのきっかけになれば成功と呼べるし、そういうものが見てみたいんです。「デザインとは何か」は僕の永遠のテーマです。逆に、デザインに対してデザインをしたいと、いつも密かに思っています。

 

f

デザインとは何かということを考える時、全ての人はデザインをする時に、その中でデザイナーはどのようにあるべきかという様はその新しいものを開拓していくことであったり、場をつくることであったりするわけですね。そういう意味でもデザイナーの今のあるべき姿の像としてオープンソースは提案されていると思います。長いお時間インタビューありがとうございました。

 

以上

 

 

 

NOSIGNER

プロフィール:1981年生まれ 「名を名乗らぬ者」そして「見えない物をデザインする者」という意味をもつ、 nosigner(ノザイナー)として デザインを行っている。 デザイナーの名前を顕示せず、 自然なデザインを作りたいと願っている。 慶應義塾大学大学院在学中にnosigndesignを設立し独立後、nosignerとして活 動。ロンドンデザインミュージアム収蔵・グッドデザイン賞など、受賞多数

http://www.nosigner.com/

cicroiro-interview-hwtnv3

f

グーグルアースを用いるというのはまさしくその、非同時性をもとにヴァーチャルでしかできないこと。非同時性についてはすごく有効な手段だということですか。

 

w

そうですね。

また、これは中沢新一さんのアースダイバープロジェクト。これは今共同研究をしているのですが、この青いところが、縄文時代の海だったところ。ここに、昔史跡があった場所を重ねて見ると、実は1万年前に岬だったところにお寺だの神社だのがあるっていうのが中沢新一さんのお話なんですね。


本人も言ってるんですが、科学的に厳密にそうだって言えないんだそうですが、重要なのは、そうかもしれない、って思わせる想像力。さっきのリズムエンジンは8年でしたけど、これは1万年前なんだよね笑 でも実際にたどってみると、確かに、当時の海と今の大地っていうのは、きちんと重なり合っているということですよね。

それで今中沢新一さんのゼミとやっていることは、iphoneを使って、街中で何かしらフックになるような物を見つけて報告すると、それがどんどんマッピングされていって、人々が、身体感覚で見つけている場所と、過去の場所になにか繋がりがあるのかっていう検証ができますね。1万年前の地球から、今の地球に時を越えて伝わっている場所の力みたいなのが。それを辿りだすツールとして、ポイントを集積して集めるというのと、1万年前との地形と照らし合わせると何か見えてくる物があるんじゃないか。そういうプロジェクトをしています。

アースダイバー大ファンだったんです。ただ、さっき否定していたリアルタイム性っていう話に真っ向から歯向かう話ですけど、ツイッターで始まったんですよね、このプロジェクトは。多摩美のアースダイバーゼミの学生さんがなんかやりたいですって書いてて、それでぼくもすぐリプライしたんです。うちでやれますよと。そしたらトントン拍子に進んで、今やここまでできている。それで面白いのが、普通に生身で中沢新一さんに手紙を出したら返事が返ってくるかというのはわからない。でもツイッターで非同期的にじゃなくて、むしろリアルタイムに、アクセスしたら繋がっていったよと。

でも今のツイッターのよさっていうのは、

リアルタイム志向だけど、

多数決じゃない。

いい意味でご近所付き合いっぽい

仮想世界っぽい

というところで、僕は、着飾らなくてもよくて、普段やっていることをそのままやればいい。という感じで考えています。

 

f

建築学科出身ということなんですが、どういったことが、建築学科を飛び出て違う分野にいったときに役立ちましたか。

 

w

今僕が教えているとこはインダストリアルアートコースというとこで、アートやデザインを専門にしている学生達を教えていますよね。で、そのときに、自分が役に立つなって思っているのは、公表会とかでのエンターティナーに似てるていうことかな。知らず知らず。つまり、案のいいとこを拾って伸ばそうとか。あるいはとんがりすぎて、守勢にはいってる案に効果的な切り口を見つけたりできること。つまり、

批評的エンターテインメント

これは僕がやっているだけなのかもしれませんが笑

最後に何か授ける物ができるように、話を誘導していくっていう訓練をしたような気がして。それは小嶋さんの公表とかから学んだことかもしれない。それは学生時代、それでそのまま学生に今教えているのでそのまま教えていますね。

後は、プロとしては、

ふさわしい身の処し方に敏感になっている。


空気を読むっていうのとはちょっと違うかな、空間を読むって感じですかね笑 今自分がプラットフォームに使用としている場所で、どういうものを出したら効果的かっていうのは割とさくっとためらわずに、身を処すことができる。

俺のやりたいことはこれだから。ではなくて、やりたいことっていうのは何重にも包んで、請け負って、色んな形をだせると、つまり、

表現者、じゃない。

誰かのニーズ・メッセージを

エンパワーメントする仕事。


やっぱり、自分の中に何か表現したいとかがあるわけじゃない。今日紹介したプロジェクト全部そうだと思いますよ。この団地マッピング僕すごい好きなんですけど、大山顕さんという住宅都市整理公団総裁の団地マニアなんですけど、笑 その大山さんとご一緒したプロジェクトで、大山さんはご存知の通り団地の写真をたくさん持ってらっしゃるので、それをグーグルマップにてマッピングするお手伝いを致しました。

それで、僕が団地を好きなわけじゃない。なにか、実世界や、仮想世界にて行き詰まっていることとか、もっとこうしたらこうなるんじゃないか、っていことをさくって見つける。か、その人からオファーがあったときにふさわしい場所とか、ふさわしい空間を見つけて、そこでソリューション出すっていうような、そういうスタンスです。

この

ふさわしい身の処し方に敏感になっている。

っていうのもそうかもしれないです。講評会のときに自分が今この瞬間に、どういうことを言えば、場がきちんと成立するかってことを、よみながら発言をしている。疲れているとできないですけどね。

 

f

というと、回答者というより、問題の中にさらに問題を見つけて、それに対してアウトプットしているという考え方というような印象を受けたのですが。

 

w

ちょっと微妙なんですけど、

自分で問題を設定して

自分で解決する × 政治家


なんですよ。僕はあんまりこうしたくないので、自発的に設定するというよりは、何かあると。見回していると、スタンスなりのプロブレムっていう物が存在していて、誰でも気軽にそれを解決することができる。だからいい。建築に進まなかった理由は、気軽じゃないからかもしれない。だって下手したら人死にますからね。で、団地マッピングで誰か死んだっていう話は聞かないですよね。だからちょっとその分無責任かもしれないし、あと言葉が軽くなる感じ。

それこそツイッター的に、いいたいことをさくって言ったっていうことを人に伝えることででてしまう。っていうのは良くも悪くもありますね。だから建築学科にいた頃よりは、僕はぽんぽん言ってるかもしれない。反射的に物を言っていたりするかもしれない、ある程度。という感じですね。

 

f

最後に一回り近く歳が違うわけですが、先ほどお話ししましたように、世代的な違いっていうのはあるのかなと。渡邊先生の世代としての原風景というものをお持ちになっているのかなあと思っていて、デジタルというものが原風景にふくまれているのかなと、予測してみたんですね。それで渡邊先生のときには何が流行ったんだろうと。

 

w

ゼビウス(笑)


でもこれのすごいのが、これ色16色ぐらいしか使ってないのに、大平原と道と要塞があって、飛行機があってっていうことが想像できますよね。皆さんがモバイルの、ゲーム機でやる世代だとしたら、僕等はゲーセンにあったものが自分のうちに来るようになった世代なんだよね。だから、家の中で手軽にもう一つの異世界をデジタルで遊べるようになる。それまでは、本を読む、マンガを読むとかそういうことでオルタナティブな世界に入っていったのが、もう僕等は、デジタルのファミコンの向こう側にある世界に、そこに想像力をつかって没入することができるようになったと。だからすごいはまりましたよ。一晩中やったりとか。逆にモバイルのゲームだと、一晩中やるようなゲームじゃないでしょ。

 

f

というか僕たちは常にたまごっちや、ポケモンなど、常にモバイルデバイスを持ち歩いていたという感じでしたね。思い返してみると。

 

w

だから僕はいくらグーグルアースがリアルでも、こっちに没入はしないんですよ。見てて向こうに想像の翼を広げて、それが初めて向こうに降り立つとき。だから、もしかしたら自分のためにやっているみたいなとこがあるかもしれませんね。向こうに足を伸ばすためのトリガーを設定している。もしかしたら、セカンドライフやグーグルアースをみて、すっと向こう側に行ってしまう人もいるかもしれない。そういう人は、もうデザインする必要ないですね。僕はただ単にその狭間にいて、行ったり来たりを繰り返して、仮想世界で得た物を現実世界に持って行ったり、また逆もしてみたり、そういうことをやっているのかもしれない。

 

f

それでは、例えば今スマートフォンを使っているような小学生達が見るような、その世代ごとの原風景っていうのは違う物なんでしょうか。

 

w

違うでしょうね

 

f

それではセカンドライフとかのような空間ていうのはもしかしたら如実に変わってくるような一面もあるのでしょうか。

 

w

あるかもしれないし、商業サービスなんで、普遍性がなくなったら廃れるんでしょうね。mixiとかが最近人気がないのはすごい面白いことで、数年前まではすごいにぎわっていたのに、今はこうあっという間でしょ。それで、僕がグーグルアースを使っている理由て多分これは廃れないんですよ。廃れる理由がないんですよ。これはグーグルにとってはフラグシップなんですよね。世界中の色んな情報を集めて公開するっていうのを如実に表していますよね。そこが、逆らい難さというか、キーワードはこれになるのかもしれませんが、

さからいがたさ

文句を言いにくい

グーグルが、そう意味だと自分がやろうとしていることに近いですね。

 

f

1時間もの長いインタビューありがとうございました。

首都大学東京渡邊研究室からでした。

 

渡邊英徳(わたなべ ひでのり)

首都大学東京大学院 准教授

株式会社フォトン取締役

http://labo.wtnv.jp/

hwtnv@sd.tmu.ac.jp

@hwtnv

2010年6月4日首都大学東京渡邊研究室にて

cicroiro-interview-hwtnv2

f

ありがとうございました。すごい参考になるというか、楽しい作品紹介でした。

今のそのtwitterというか、Ustreamもそうなんですけど、リアルタイムを意識してるインターネット空間というか今の傾向があるのに対して、2002,2003年の頃から、非同時的なところが、いや、むしろ、同時的なところっていうのは現実空間はもちろん同時的で、逆にインターネット空間のようなものを、最大限に生かすには非同時的なのかもしれない、っということを考えているんですけども、今2010年では非同時的なものをどう活用されるのですか?

 

w

そうですね、じゃあ、まず、僕の名前をgoogleで検索してみると、こうすると、最近のgoogleの検索結果って、ここが如実ですよね。13万件検索が0.2秒で検索されましたってところですね。それで、下に出るのが、僕に関する情報で、人に人気があってなおかつ最近更新された物が上に来てますね。

つまり、即時制があって、みんなが好きな物大事なものだ

っていうのがだんだんネットの世界になっている。

でもね、そうじゃないと思うんですよね。

つまり、多数決の原理じゃないウェブ


っていうのも好きだと思うんですよ。

一人でも、人並みはずれて好きな人がいたら、それをネッに出せる。

そしたら、同士が見つかって、ちっちゃいながらもコミュニティができていくっていうことがいい感じでおもしろいのかなあと。

僕もお世話になっているgoogleさんのつくるウェブは、みんなが押し並べて好き。だと。

今回のインタビュアーの背景から言うと、

都市・まち・建物

多数決の原理で良いの?


だから、たくさんの人が好きだからこういう風な町になっているんだよって言うと、全部、アウトレットだとか、ユニクロが、マツモトキヨシがあってっていう町にならざるを得ない。インターネット上も多分段々そういう風になるので、なんかそれはおもしろくないなあって。

 

f

そのときに渡邊さんが、セカンドライフっていうヴァーチャルの中にあるもう一つの世界を使うって言うのはそういう考え方から来ている物なんですか?

 

w

さっきの桜マッピングって、僕的な言い方をすると、文句が言えないって言うことなんですよ。つまり、桜マッピングってのは倫理的にどうなのとか、桜をマッピングしたら困る人いるじゃないとか言う人はまあいないんですよ。

僕が、会社もしくは現実世界の渡邊としてやっているプロジェクットって言うのは、さっき僕が否定していた、即時制があって、みんなが好きな物大事なものだ これっぽいもの。つまり、タイムリーでみんながもっと、言わない(であろう)プロジェクトがあるんだけど。

セカンドライフで、つくってるんだけど、これはアルスエロクトロニカアーカイブっていって、ヨーロッパのアートイベントの過去の入賞者のアーカイブを展示したものなんですが、これなんかは、大抵のセカンドライフユーザーにとっては謎めいたよくわからないものなんじゃないかなって(笑)

僕はここは、仮想世界なんだから、壁とか、身体的な動きをさえぎらずに、ディレクターのビジュアライザーションに近い理念で、空間がつくれるんじゃないかって言う考えでやっているところなんですけど、そういう話は実世界のプロジェクトのときはあまり口にしない。だから、もしかしたら、こっちのほうが本音を形にしている場所なのかもしれない。

 

f

そういったものっていうのは実際建物って言うのは、建てる人がいて、暮らす人がいて、みんなで協力し合って1つのものができるっていうのはあると思うんですよ。

でもセカンドライフっていうのは、一つの建物をたてるというかは、構築するのも一人でできるっていう意味でも、実現しやすさっていう意味でも、まず、これを建築と呼ぶかという問題もあるかと思うんですが。そういう意味でもヴァーチャルって言う世界だからこそ、自分の本当にやりたい建築っていうのが、社会のしがらみみたいな物から解放されて、実現できているって言う考え方もできるんでしょうか。

 

w

社会のしがらみっていうかは、・・・物理的な制約がない。ソーシャルな意味でも、何でも良いですけど、クリアで制約がない。しがらみっていうと、もう少し湿った感じがするよね。この世界はもっとアプリオリに、何も引っかからないんです。

そういう意味だと、実世界の建築の話をすると、重力があったり、雨が降ったりするわけですよね。それに逆らって成立している物だって言うのが大前提としてあるわけですよね。仮想世界だと、もともとそういう物がない。そうすると、設計の足がかりがないわけですよね。結局は自分が信じている空間概念とか、こういう場所が居心地がいいってところから発進している。よりピュアなのかもしれないし、誰に対しても説明義務がないって言うところもよね。

 

f

逆に言うと、誰に対しても説明義務がないから、誰もがこの世界を理解しているわけではなくて、そうすると理解してもらうのは大変っていうところはあるわけですよね。

 

w

そう。おもしろいところは、僕はあまりエヴァンジェリストをする気はなくて、つまり、さっきの話なんですけど、

多数決の原理じゃないウェブ

ここですよね。今セカンドライフに同時にログインしている人は世界に7万人くらいいるんですけど、7万人も仲間がいるんだからいいじゃない。同時に1億人とか15億人がログインするようにいなきゃいけないのかっていわれると、まあ別にって感じ。

そもそも仮想世界って言うのが、何か似た嗜好を持った人たちが、簡単に出会えて、非同期、非同場所でコミュニケーションできる場所。っていうことなんですけど、どうも風潮的には、はやりの物にしなくてはいけない。ユーザーを増やさなくちゃいけない。そういう話になりがちな気がして、ルールを守るのも、汚すのも、僕にとっては大きなお世話だって言う感じなんですよ。

でも実世界は違いますよ。僕だってやっぱり、つくったものはたくさんの人に見て欲しいし、アクセス数が増えているとむちゃくちゃ嬉しい(笑)

 

k

桜マッピングでやっていることはどちらかというと社会に対して問題を求めていたり色んな人々から見た桜マッピングであるような印象を受けます。そうではなく、セカンドライフでやっていることは自分がやりたいことを自分でやりたいようにやっているような印象を受けるのですが、その『どちらにも』という感情があるのでしょうか。 

 

w

なんかその、色んなサービス渡り歩いたり、そこそこ社会の色んな面を見て来た気がしているので、何かがプラットフォームを見たときに、そこでのふさわしい身の処し方っていうのがなんとなく感づくんですよね。自分で。つまり、居心地の良い使い方が自分でできていて、それで、自分で居心地が良いってことは他の人にも居心地が良いってことって自分はそう思います。

つまり、グーグルアースみたいに、これは去年メディア芸術祭に展示したツバルのプロジェクトですけど、ツバルに敷きっている人たちの顔写真、この写真は写真家の遠藤秀一さんが撮られたんですが、この写真をクリックすると、地球温暖化で沈むと言われている、ツバルの人々の、温暖化とはまた別の、生き生きとしたまた別の顔を見ることができる。

グーグルアースこそ、人々が関心を抱いている場所に対して、みんなに対して何か貢献できることを展開するのに僕はふさわしい気がしていて。

片面、さっきのセカンドライフの方は、僕がもともと好きだったインターネット、ここに即して、こつこつと、変態建築家として(笑)過ごしている方がふさわしい気がする。

グーグルアースはさっき僕がみんなが好きだって言ったでしょ。これは如実で、なんで好きかっていうことだよね。セカンドライフの方はどっちかっていうと、認知世界のほうに照らし合わせるためにちょっと努力しましょうと。だからみんな現実世界に似せるんだよね。足がかりがないから。

でもグーグルアースもうじつは自分の身の回りにある物はほとんど写ってるにすぎないので、努力しなくてもいい。そういう場において、出すべきふさわしいコンテンツをだしているにすぎない。

 

f

グーグルアースとセカンドライフっていうのは同じような物なのに、全然違う物のように扱っている印象を受けるのですが。

 

w

僕はそう思ってます。

 

f

それはセカンドライフっていうのはある意味、ヴァーチャル世界において、かなり、完結している世界と捉えているのかなと感じたのですが。

 

w

そうですね、僕自身はただ、クリエイターなので、これを見てもらえるとわかるんですが、ツバルの人々の顔が浮上してますよね。これさっき見てもらったアルスエレクトロニカアーカイブに似ていますよね。

だから、デザインするときの手法、それが両方に共通。だから、空間も自由にデザインできて、コンテンツのこの配置の仕方とか、ノウハウのところが、セカンドライフだろうが、グーグルアースだろうが、プラットフォームが変わっても実は一緒。ただ、これを使って解くプロブレムというか、質が異なる。

 

f

セカンドライフの場合、質という面で、結局僕等は体があって、完全にヴァーチャルの世界に行くっていうときに体という物が残ってしまうわけですがそれに対して、どうお考えですか?

それが結局みんなセカンドライフは知っているけどはまらない理由の一つになる気がしているんですね。そこに対して興味があって、仮に高性能なパソコンがあって、すごく大きい画面があって、というようなことで配慮されることなのか、それとも、もうヴァーチャルの世界に入り込むっていうこと自体が体のある僕等にとっては無理があるんじゃないかとも思うのですが。

 

w

それがおもしろいんですけど、僕は、仮想世界に体入っていく派じゃないんですよ。それで、さっき原風景の話をちょっとしたと思うんですけど、ファミコン世代なんで、コントローラーを経て、画面の向こうにある8色と16色で描かれたカクカクしたグラフィックの世界を見るっていう、修練をしていたので、セカンドライフのようなこういう3Dの世界に没入できない。

つまり、キーボードを、越えて、向こう側に映っている画面を無理矢理自分の身体感覚に寄り添わせてる。クリックして上昇させたときに、ぞくっとしたり、ちんさむな感じにはならない。

でも、セカンドライフのヘビーユーザーの人は壁に当たったりすると「いてっ」とか言うんですよ。笑 そこがおもしろいですよね。セカンドライフまで身体感覚が伸びている人も現にいるんですよね。僕は違うんですが。

今研究しているのが、その言い知れぬ身体関係、つまり、こっち側に肉体って言う物を知覚していて、キーボードを介して、画面の向こう側に身体感覚を無理矢理のばした人の身体感覚。それは、下の世代とは違うかもしれない。前聞いたら、マトリックスじゃないですけど、ケーブルをのばしてジャックインして向こう側で生活するのもいいかもねっていうことを素で言ってんの。そういう感覚を持ちえる世代なんだと思う。

k

2次元で生活したいということですかね。

w

そうですね。

僕が今考えているのが、そういう人たちに向けた空間デザインとかをつくれるかなって。実世界の建築とか都市とかを模倣するんじゃなくて、本当にこの中で身体感覚を持っている人たちに対して、どんな空間が居心地良いのかっていうのを考えたいなって。

あと、これはアイトラッキングデバイスっていうんですが、人間の瞳孔の動きをスキャンしてそれをコンピュータにインプットできる機械なんですが、今月ビックサイトで、展示しているんですけど、視線入力だけで仮想世界を旅ができるっていうコンテンツを出すようで、そうすると、おそらく、キーボードから得る身体感覚とはまた違った新たな身体感覚が検証できる気が。

 

k

それはより没入するかもしれないということですか?

 

w

それはより没入するかもしれないし、冷めるかもしれない。

クラブとかに出かけたときの感覚を僕たちは感じてて、若い頃はVJみて、ドラムの音が聞こえて、供感覚で、っていうよりも、年取ると、そんなことよりおいしいご飯の方がいいなっていう(笑) 多分それに似てて、10年前にセカンドライフとかに出会っていたら、もっと没入べったりしてたんだと思うんですよ。

今は何となく現実世界にも楽しいことがいっぱいあることに気づいちゃったので、少し、切り離した、本当に超わがままな自分だけをセカンドライフの中におこうとしてる。仮想世界大好きだったころの自分がこの中にいる感じ。そういう感じがちょっとします。

 

f

あと、セカンドライフの発展として、完全に没入することが完全な未来のあり方というよりは、ちょっと斜に構えるようなユーザーが増えるということもあるんでしょうか?

 

w

多分僕のやりかたは、なんで建築出身かっていうことにも繋がるんですけども、

仮想世界に没入する人々

没入しきらずに、

デザインを提供をする。

ということが自分の役割なんじゃないのと。

つまり、愛しきっちゃうといい物がつくれないというね。だから、僕が始終セカンドライフにいる人だと、おそらく、楽しむ方を優先してしまって。今はつくるときだけ考えるようにしてないので、ある程度相対化して、話題を提供できるような作品をつくれているのかもしれないなあと。

おもしろいのが、実世界においては、渡邊は仮想世界の人って見られ方をしているかもしれない。ただ、本当の意味で、実世界、仮想世界をどう過ごすのかっていうもののある程度の結論は自分では見抜いている。まあ今までだらだら話していたようなことに繋がっていく。

 

f

ではグーグルアースの話になってくると、本当に、ツバルっていう島は地球にあるし、それに対して、ヴァーチャルの世界を提案してるということで。本当に密に分離してヴァーチャルと現実が重なってくると思うんですけど、それって現実には現実の良さがあるし、ヴァーチャルにはヴァーチャルの良さがあるということで、そこを意識してこういうものをつくられているんですか?

 

w

さっきもいいましたけど、ふさわしさですよね。

例えば、町の中に色んなポイントがあって、そこでどはずれたことをしても、しょうがなかったりしますよね。まあするのは自由なんだけど。それで、広場の中心でぶつぶつつぶやいていてもいいんだけど、そのつぶやきを誰が聞くかっていうことにもなりますよね。ぼそぼそってつぶやくんだったら、もっとひととの距離が近い場所でつぶやいたほうがいいですよね。でも喫茶店でみんなが静かにお喋りしている中ででいきなり大声を出しても、それが誰かにいいことがあるかというと、それもそうではないと。それと似てて、デジタル地球儀と、仮想世界、っていうのはそれぞれふさわしいものがあるというか。

これが、今話していることの延長ですけど、今進めているプロジェクトで、長崎の被爆者マッピングです。被爆者の方々が当時の長崎のどこで被爆したか、っていうものをビジュアライズしたものです。で、僕が思うに、こういう情報はデジタル地球儀でやった方がより人々に伝わりやすいんじゃないか。これを、仮想世界でやったら、つまり、実世界だと、全く切り離れていて、そこに身体感覚のっけるのは、難しい場所でやってもあんまり効果は出ない気がする。だからこれはもう、こんかいは長崎でしたが、自分が生きている場所との距離が縮められている。

でもセカンドライフ上に首都大の島があって、そこに被爆者達が、当時いた場所がマッピングされているらしいよ、ってなったら、ずいぶん手順を踏む話ですよね。そうするとあまり意味がないよね。

そうやって、なにかミッションが降ってきたときに、それにふさわしい場所を見つけて、そこで最適な解をだすっていうのが僕自身の今のスタンス。ちなみにですね、メッセージをツイッターでのせられるようにして、キノコ雲の代わりに浮かべようっていうそういう企画です。iphoneのセカイカメラを用いて覗けるようにしようと。それは今年の8月9日にやる予定です。

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藤代(以下:f

初めてのインタビューを開始したいと思います。cicroiro代表の藤代です。緊張しています。よろしくお願いします。

 

金(以下:k

金です。よろしくお願いします。

 

斎田(以下:s

斉田です。よろしくお願いします。

 

f

今回インタビューさせて頂く、渡邊英徳先生です。よろしくお願いします。

 

一同

よろしくお願いします。

 

f

渡邊先生は、僕が東京理科大学理工学部建築学科なんですけども、小島研究室の三期生の卒業生ということで、大学院のときに、ソニーで、ゲーム会社と契約しつつ、ヴァーチャル世界に入りつつ、建築をやられていたということで、そのまま今の姿勢の渡邊先生になられていると思うんですけども、今までの経歴をぜひとも紹介して頂いてもよろしいでしょうか。

よろしくお願いします。

 

渡邉(以下:w

今日は建築の方々がきているということなので、まず、卒業制作を紹介していきたいと思います。

これがですね、大学4年のときの作品で、卒業設計賞をいただいたのですが、今は仕事柄というか、コンピュータを使う作品が多いんですけど、このときは手書きのこういう、ドローイングで、一枚3日くらい寝ないで、2日寝るという感じで、書いていったんですけど。それで、このとき評価されたのは、この重苦しいドローイングを書いた後に全部をCGで再現したことなんですよ。


普通の設計の流れというのは、敷地があって要素があってデザインして最後にプレゼンテーションするという流れがあるんですけどね。この時は、先にプレゼンして、それから設定して、最後に敷地を決めるという逆のフローをたどるっていうスタンスが評価されたのかなと。

そのあと、ソニー・コンピューター・エンターテイメントにいきました。プレイステーションの会社に入ったわけなんですが。

一番最後にやった建築のプロジェクトっていうのは、昔あった、まあ今はあるかはわからないけど、モンブレインデザインコンペっていう、膜構造の建築を提案しろっていうコンペです。これは、ソニーの機械を使ってつくったCGです。薄い膜が海上を漂っているんですが、みんな知っているかもしれないけど、高気圧のときは、高気流で、低気圧が上昇気流を生むのですが、それをこの膜を使って可視化しようというやつですね。この一番てっぺんではこういう気球がういていて、膜を空気の重さにしてバランスを取っています。このコンテストのときの所属が、ソニーエンターテイメント/東京理科大学という謎な肩書きで受賞しました。(笑)

それで、今のがあって、会社のソニーの方では、アディの贈り物っていう今は名作シリーズで買うことができるとおもうんですが、ヨーロッパの町を水彩画で表現するっていうような仕事をしました。そのときに、3Dモデリング使って表現すると。ただ、そのときに思ったのが、僕等が大学で研究したような建築って言うのと、コンシューマー、一般の方が想像する建築って言うのは結構差があるなって言うことなんです。

斬新な空間構造とかよりは、いかにヨーロッパのようにみえる町をつくるか。それでもまあいいかなっていうような意見はある程度妥協しているつもりだったんですが。まあ二つの距離は今日の話につながると思うし。

その後なぞの一年間があって、株式会社フォトンっていう会社を起業するんですけど、そのフォトンって言う会社で最初にリリースした作品をちょっと紹介します。リズムエンジンって言うんですが、まずログインするときに自分のキャラクター、今で言うアバターを選びます。

これは宇宙空間で世界中の色んな人と音楽セッションができるゲームです。今キーボードを叩いているんですが、これはキーに応じた音が鳴るんですね。これは他の空間にいる人も音楽を演奏していて、みんなと文字と音楽でセッションをすると。これで、外に出てみると、宇宙空間になっていて、他の惑星にいる人にアクセスできると。

今見てもらって、皆さんの頭のなかには、音楽チャットみたいなイメージが湧いたと思うんですよ。リアルタイムで世界中のひとと音楽セッションができるようになる。

これはちょっとひねってあって、出てくる人は同時にいるわけじゃない。このあと一瞬注意して見てもらいたいんですけど、今参加しているメンバーを見てみる。すると2002年。つまり、この周りにいる人は、リアルタイムのメンバーじゃなくて、昔プレイした人の記録が再生されている。だから、音楽セッションっていうのは、リアルタイムだって言う先入観があると思うんですけど、このプロジェクトでは、非同時で、音楽セッションをするっていうコンセプトにしてあるんですね。で今上に同時にプレイしている人のリストが出ていると思うんですけど、少なくとも8年前、遊んだ人の音が聞こえている訳ですね。そういう仕掛けになっています。ただ、聖徳太子じゃないですけど(笑)、これは当時2chで人気が出たんですよ。で面白いのが、こういう順序でキーをうつと、未知との遭遇のテーマ曲になるとか、サザエさんになるとか、あと逝ってよし逝ってよしってうつとこういう曲になるとか。そういう遊びをする人がでたんですね。

それで、さっきイタリアの町のベタなのが良いていうのと、先端的な建築っていうのは違うって話をしたと思うんですけど、僕がもともと意地が悪いのと、それがこのソフトに出てて、見た目楽しいオンラインゲーム、つまり、リアルタイムで、誰とでも遊べる、キーを叩けば音がする、でも実は非同時で音楽はセッションしていたんです。あなた達は。ってあとから公表する。っていうのがあるのと、後願いとしては、特に最近でてるツイッターで如実ですけど、リアルタイムなやり取りが変調されますよね、ネットを繋げば。でも本当は手紙のやり取りと似ていて、もっとゆったりコミュニケーションできるかなインターネットなら。そういう傾向が2002年のときからあったので、そこをなんとか復権させたいなと、ネット上での時間を隔てたコミュニケーションを盛り返したいなと思ってつくったのがこれですね。嬉しいのが未だに遊んでいる人がいるっていうことですね。累計で30万以上なんで、たまに昔の自分がいるということがあるんですね。

 

この作品の次にリリースしたものはしょうもないの作品なんですけど、今やっているツバルのプロジェクトにも通じますけど、今のリズムエンジンの応用系でリズムフォレストっていうんですが、これはですね、今のリズムエンジンみたいに、音楽を非同時に奏でられるゲームなんですね。音楽を奏でると、この空間に木が育つ、そういうゲームです。

http://www.nifty.com/ref/

でも、これもちょっと仕掛けがしてあって、実は、ゲームの中で木を植えると現実世界でも木が植えられる。そういうコンセプトです。具体的には、ゲームに課金された中から、植林に寄付される。そういう仕掛けなんですけど。今までこれで5000本ぐらい累計で植えられてまあ・・これが現地で植えられている写真なんですけど、育ったのか不安になるような一モンゴル自治区の写真です。(笑)

http://www.nifty.com/ref/woods.html

でこのときに、今回のテーマにも近いことなんですが、ネットで起きていることと、実世界のアクティビティをどうつなげるするか。そういう試みのきっかけかもしれない。これが2003年の7年前。ただ企業としてやっていたので、お金で寄付する。って言うのがやっぱりベストだった。分かりやすい。今だったらもっと違うやりかたがあるのかもしれない。ツイッターのようにもっとダイレクトに人の声を拾えるものがたくさんありますので。当時はやっぱりゲームをやって遊んでもらって、そこに対して払ってもらったお金の中から寄付する。っというようなスキームになるかと思いますね。時代性からすると、今から見ると、ちょっと古めかしい感じかもしれない。で、この頃から、グーグルアースのやつは始まっていて、ユーザーさんから実際にどこに植えられているのか見てみたいっていうリクエストがあったんです。実際はこんな感じです。グーグルアースで見てみると、こんな感じに、グーグルアース上で木が植えられている様子を見せたり、どこにそのNPOの本拠地があるのか、というような情報をディスクロールするっていう試みをやってみたりしました。

 

で、今のが、非同時セッションの1部作2部作だとしたら、それの一番最後は、僕がやったもので一番有名なんですけど、一番マニアックで、説明が難しいなと、

http://www.youtube.com/watch?v=8oEYMag1HME

youtubeで見れるロボットを介して、さっきキーボードで入力してましたよね。それだと物足りないなという気がして、これ5年前ですけど、体全体の動きをネット上で記録して、後からいつでも再生できるようなシステムを開発する。そういう話になって、ここでの試みは、今不思議なことに、iPhoneiPadなどマルチタッチの端末が出ているんですけど、こんなふうにパリの町の上でダンスをしています。これは実は、日本にいるある女の子がマルチタッチのパネルで操作している。これさっきのリズムエンジンの話で言うと、みんなの最初に持つイメージと違って、リアルタイムで操作をしているっていうことですよね。今までの話を聞いている方で勘でわかるかもしれませんが、こうやって動作している情報はネット上にすべて記録されているので、後から、非同期的に再生することができる。世界中の人がいろんな体で、描いた軌跡がネット上にどんどん記録されて、ロボットさえあればいつでも再生できる。これをどんどん繰り返していくと、年ごとに色んな人のからだの動きが、地球の上にたまっていく。これちょっと嘘ついていて、途中で辞めちゃったんですが今年までやっていることになっている。(笑)一番最後にいた子みたいに、全員のからだの動きを一斉に再生するとどうなるか。

マイケルジャクソンのバックダンサーがダンスしている様子が非同期的に出現できる。そういうことですね。さっき言ったことなんですけど、これが一番僕がやっていたなかで一番賞をもらっている作品なんですが、説明が難しい。(笑)最初リズムエンジンとかそういった話をたどっていってようやく腑に落ちるような感じなんで、ちょっと、やばいなという感じが(笑)自分ではしてるんです。でここから先が急激にわかりやすい話になっているんです。これはみんな大好きなグーグルアースなんですが、これがどういうことなのかというと、皆さんこのうつっている地図がなんなのかわかりますか?

 

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これは桜ですよね。ピンクっていうところから。

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  桜前線の図です。これは、2006年にやったのが、ここにユーザーが投稿してくれた写真が全部ディレクトリされて、桜前線を全員で追跡できる。で、これもじつは、

リズムエンジンのときにいっていた非同期っていうコンセプトに似ている。と自分では思っている。

というのは、一枚一枚の写真の背後には、さくらを楽しんでいる人たちの生活が非同期的に存在するんだけど、3月に関東で楽しんでいる人から、5月に北海道で桜を楽しむ人まで、これは時間を全て重ねて見ているわけですね。沖縄まで戻ってみて見ると、1月にも。で、先ほど見せていたリズムエンジンとかに欠けているのは、実はこの、地理情報と重ねて見ることですね。非同時だけじゃなくて、非同場所でもある。つまり、世界中のいろんな場所から、時間と場所を隔てて人々が参加している空間ていうのがあって、それを可視化する試みがこの桜マッピングなんですね。

ただ、あいにくというか、この僕が今までやっていたマッピング系の中でこれが一番面白いんです。笑

ちょっとね、桜マッピングよりも面白い物が見つけられていないとうか。

 

interview : hidenori watanabe

渡邉英徳 ■イラストレーター、仮想空間クリエイター/アーキテクト。 フォトン代表、首都大学東京准教授、デジタルハリウッド大学客員教授。 ■略歴 1974年大分県生まれ。 1996年東京理科大学理工学部建築学科卒業(卒業設計賞受賞)、98年同大学院修了。 2000年より早川書房「S-Fマガジン」の装画+イラストを担当する。 また、2001年にゲーム制作会社フォトン設立。インターネット上の音楽コミュニティゲーム「リ ズムフォレスト」(2003年)の制作のほか、 インターネットを介してロボットが人間の動きを再現するコミュニケーションシステム「NEtRO BOtProject」(2004年)、桜の写真を世界中から Google Maps上に投稿してもらう「桜前線さくらマッピング」(2006年)、3D仮想空間での建築プ ロジェクト「Archidemo」(2007年)などを手がけている。

green pool

20XX年、シンボルタワーから見える都市の光景が緑で埋め尽くされたらいいなと思います。

企業とエコを繋げる「エコ世界」という新しい世界共通のプラットフォームを造ります。今までの企業の取り組んできたエコ活動というのはその業種によって様々であって、それらは結果「エコ」と名がついただけの各々の商業戦略にしか成り得ませんでした。それは個人的解決であり全体として統制がとれていなく非効率です。また日本のそういった活動の問題として人間がエコ活動に直接的に関与しないことがあります。ならば全てを解決する新しいプラットフォームを造ればいいというのがgreen poolの提案です。

wwwは情報世界という新しいプラットフォーム(www pool)を造りました。これは世界規模で企業は広告にせよ販売方法にせよ新しい競争のフィールドを獲得し、そして世界の経済活動が盛んになりました。言い換えれば世界を「元気」にさせたとも言えます。green poolではエコと繋げることで新しいレイヤーでの経済活動を促したいのです。我々は「日本を元気にする」ということを、エコ大国日本において経済とエコの関係をよりクリアにすること、世界規模の新しいエコ競争のフィールドを造ることだと捉えました。

green pool は世界主要都市にあるシンボルタワーを経済とエコの媒体の中心とすることで実行されます。世界各地の主要都市には必ずといっていいほどシンボルタワーがあります。東京なら東京タワーの他に東京スカイツリーができますし、ニューヨークにはエンパイアステートビル、パリにはエッフェル塔があります。その他にも都市の中心部には都市を全て俯瞰するシンボルとしてタワーは存在しています。

また、シンボルタワーには共通して展望台があります。展望台に必ずあるものといったら何でしょうか。それは望遠鏡です。しかし望遠鏡というのは子供の頃は覗いて見たかったものですが、大人になるにつれて利用しなくなるように思えます。それは「僕の住んでいる所はどこだろう?」という興味から「東京を一望したい」という興味に移り変わるからではないでしょうか。大人になると望遠鏡はあまり使いません。green poolはその様な使わているようで使われていない望遠鏡にもう一度スポットを当てます。green poolでは望遠鏡にAR(拡張現実)と呼ばれる装置を取り付けることによって、見える景色を緑化された都市にします。ARとは現実空間をコンピュータによって情報を付加する技術や、付加された環境の総称です。緑化されたビルはgreen poolに参加している企業であるということの証となり、ARによって企業の名前を表示することができます。この望遠鏡の最大の特徴はおじいちゃんでも覗くだけで気軽に使えてしまうということです。望遠鏡はARという技術を使うことで再び注目を浴びることになるでしょう。

企業は仮想緑を獲得することでgreen poolの中に入れます。それは世界水準でその企業がどれだけエコに関与しているかを計るための絶対的な指針です。もはや企業としてはgreen poolに入らないという選択肢は残っていないのかもしれません。企業は仮想緑を獲得するために何をしなければいけないかというと人材の派遣です。そして派遣された人達で年に数回、都市ごとで都市サミットが行われ、それが都市ごとのシンポジウム、ワークショップへとつながっていきます。これの参加費、制作費も企業の負担としますがそれはそのまま環境への貢献となり企業のアピールとなるので双方にメリットがあります。

またgreen poolはシンボルタワーだけでは留まらない拡張性があります。例えばスマートフォンのARアプリを用いてアイレベルでの仮想緑化都市の散歩も楽しめます。またwww上の仮想地球儀を使えば国ごと、都市ごとの比較も容易にできます。この仮想地球儀はエコという名の元の新しい広告メディアかもしれません。このようにgreen poolには様々な拡張性がある世界規模のエコプロジェクトです。その象徴として各都市のシンボルタワーがあるという構図です。

現在日本では「チャレンジ25」という国家プロジェクトが行われており、チャレンジ25キャンペーンという国民運動を提唱しています。このチャレンジ25キャンペーンとgreen poolを合わせることで日本では個人にも参加ができるような独特のシステムができるかもしれません。この様に世界各地で行われている既存のエコ活動と合わせることで国としての色が出てくるのではないしょうか。それが一つのプラットフォームに置かれるということは、世界がお互いに協力しあい、監視しあう環境をつくることを意味します。

例えば東京では日本というフィルターがチャレンジ25によってまずかかり、東京というレイヤーが都市環境サミットでかかります。そうなることで東京が見る未来のエコヴィジョンが見えてくるはずです。例えば、春には桜が舞い、夏にはひまわりが太陽にむかって背をのばし、秋には紅葉が目に飛び込み、冬には枯れ木が雪の間から顔を出すでしょう。それは私たちが忘れてきた日本の姿なのかもしれません。その様なことが世界中の都市で起きていたらきっと元気な世界になるでしょう。

20XX年、シンボルタワーから見える都市の光景が緑で埋め尽くされたらいいなと思います。